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【 谷汲山華厳寺 】 岐阜県揖斐川町(旧谷汲村) |
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798(延暦17)年に創建された天台宗の古刹 |
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西国三十三ヶ所の第33番・満願霊場。谷汲さんと呼ばれ親しまれている。約1kmの参道には多くの店が並び、門前町の情緒が漂う。桜と紅葉が美しい。本堂は1875(明治8)年の再建で、本尊の十一面観音像が祭られている。元三大師堂、満願堂、山門など数多くの伽藍が並ぶ。旅の終わりに巡礼者が脱いだ笈摺を納める笈摺堂も。 |
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リンク 揖斐川町 |
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【 両界山横蔵寺 】りょうかいざんよこくらじ 岐阜県揖斐川町(旧谷汲村) |
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多くの仏像などが安置された美濃の正倉院 |
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801(延暦20)年、伝教大師(最澄)の開基と伝わる古刹。現在の堂宇は寛永年間(1624〜44年)のもので、本堂、三重塔、舎利堂、仁王門などが立つ。「舎利堂には妙心上人のミイラ(舎利仏)が、瑠璃殿には伝教大師作の薬師如来など22体の国の重要文化財の他、多くの仏像や絵画・書籍を蔵しており「美濃の正倉院」とも呼ばれる。 |
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リンク 揖斐川町 |
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【 霞間ヶ渓 】 岐阜県池田町 |
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いろんな桜が群生する江戸時代からの名所 |
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池田山東麓の谷で、ヤマザクラやシダレザクラ、ソメイヨシノ、エドヒガンザクラなど約3千本の桜が咲き、名のように霞がかかったような情景となる。秋は紅葉が美しい。また、遠くに揖斐川や長良川などが見渡せ、周辺には茶畑が広がる。国の名勝・天然記念物。日本のさくら名所100選。 |
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リンク ●霞間ヶ渓 池田町 |
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【 大垣城 】 岐阜県大垣市 |
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1535(天文4)年に築かれ、関ヶ原の戦いでは西軍の本拠となった。天守閣は戦災で焼失、1959(昭和34)年に再建された。現在は、1階から3階までが郷土博物館などに、4階が展望台となっている。城を中心に大垣公園として整備されている。 |
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リンク 大垣市 大垣市観光協会 |
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【 奥の細道むすびの地 】 岐阜県大垣市 |
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俳人・松尾芭蕉が1689(元禄2)年に「奥の細道」の旅を終えた元の船町港。「蛤のふたみに別れゆく秋ぞ」という句で結び、ここから船で桑名へ向かった。1685(貞享2)年に建立された常夜燈・住吉燈台が目印となっている。また、近くの大垣市総合福祉会館には奥の細道むすびの地記念館がある。 |
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リンク 大垣市 大垣市観光協会 |
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【 墨俣城 】 岐阜県大垣市(旧墨俣町) |
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木下藤吉郎(豊臣秀吉)などによって、長良川西岸に短期間で築かれた。一夜城とも呼ばれる。現代でいうプレハブ工法や長良川の流れを上手く利用、斉藤軍の妨害を逃れた。現在の城は、三層の天守閣を模した墨俣一夜城歴史資料館で、城の謎が解明のきっかけとなった古文書に基づいた構成で展開。5Fは長良川や濃尾平野を見渡す展望室。屋根には1対の金鯱が輝く。周辺には約1千本の犀川の桜が続いている。 |
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リンク 大垣市 大垣市観光協会 |
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【 養老ノ滝 】 岐阜県養老町 |
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孝行息子伝説で有名な高さ30mの滝。養老公園内の最奥、樹木が茂る山間の渓谷にかかる。滝までは駐車場から散策。途中、リフトもある。滝からの流れは、下流で扇状地にさしかかり、いったん地中へと消える。菊水泉とともに日本の名水100選に数えられる。 |
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リンク 養老町 養老町観光協会 |
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【 菊水泉 】 岐阜県養老町 |
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養老山地から湧く名水。717(霊亀3)年に元正天皇がお飲みになり、「老いを養う霊泉」として元号を養老と改められた故事が伝わる。宮中の儀式などでは長寿に効くと菊の花を浮かべた菊酒を飲むが、元正天皇が湧水をお飲みになった時、水に菊の香りがしたことが名の由来。下流にはハリヨが棲息する清らかな池・不老ヶ池や元正天皇行幸遺跡がある。全国名水百選。 |
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リンク 養老町 養老町観光協会 |
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【 養老天命反転地 】 岐阜県養老町 |
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奇妙な建築物やオブジェに囲まれた不思議空間。養老公園内にある。敷地全体が水平な場所が一切ない丘や急斜面で構成され、その中に極限で似るものの家、白昼の混乱地帯、宿命の家、不死門、昆虫山脈などと名付けられた建築物やオブジェがある。普段の概念やバランス感覚が通用しにくく、何かを感じ取れるかもしれない場所となっている。 |
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リンク ●養老天命反転地 養老町 養老町観光協会 |
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【 お千代保稲荷神社 】 岐阜県海津市(旧平田町) |
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おちょぼさんの愛称で親しまれている。境内や社殿は小ぶりだが、商売繁盛、合格祈願、縁結びの神様として知られ参拝者が多い。参道には100軒以上の店が並ぶ。現在の場所にまつられたのは室町時代で、八幡太郎義家の6男義隆が分家する時に、祖先の霊璽、宝剣、義家の画像三点を「千代、千代に保っていけ」と賜ったのが始まり。大祖大神、稲荷大神、祖神が祀られている。 |
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リンク 海津市 |
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【 津屋川の彼岸花 】 岐阜県海津市(旧南濃町) |
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堤防斜面一面に赤い彼岸花。津屋川左岸の堤防に彼岸花の群生地がある。養老山地や田園風景を背景に、堤防斜面を燃え上がるような赤い彼岸花が埋め尽くす。あたかも真っ赤なじゅうたんを敷き詰めたかのよう。対岸から見ると川面も赤く染められている。 |
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リンク 海津市 |
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【 木曽三川公園センター 】 岐阜県海津市(旧海津町) |
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木曽・長良・揖斐、三大河きらめく大規模公園 |
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高さ65mの展望タワーからは木曽川、長良川、揖斐川と3つの大きな川が平行して流れる景観を一望。水と緑の館では、治水事業や木曽三川の生物などが展示されている。また、輪中の農家・水屋や大型遊具などの施設が揃う。また、チューリップ祭など各種イベントが開催されて賑わう。 |
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リンク ●国営木曽三川公園 海津市 |
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【 千本松原・治水神社 】 岐阜県海津市(旧海津町) |
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水害に苦しむ周辺流域を守るため、幕府の命で薩摩藩士によって造られた堤。犠牲者が続出する難工事の末、1755(宝暦5)年に完成した。薩摩藩士によって植えられたと伝わる千本松原が茂っている。松原内には、1938(昭和13)年に建立され85名の薩摩義士が祭られている治水神社が鎮座している。 |
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リンク 海津市 |
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【 南宮大社 】 岐阜県垂井町 |
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美濃国の一の宮で金の神の総本宮 |
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美濃国の一の宮。金の神として鉱山や金属関連業者の崇敬を特に集める。金山彦大神が主祭神。源頼朝らの厚い尊崇を受けていたが関ケ原合戦で焼失、1642(寛永19)年に徳川家光により再建された。豪壮な社殿様式は南宮造とも呼ばれ、本殿や拝殿、楼門など18棟が国の重要文化財。 |
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リンク 垂井町 |
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【 伊吹山 】 岐阜県関ヶ原町他 |
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琵琶湖や濃尾平野などのパノラマとお花畑
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標高1377m。関ヶ原から全長約17kmの伊吹山スカイラインが通じ、駐車場から山頂まで徒歩約20分の楽々登山が可能。山頂からは、西に日本一広い湖・琵琶湖、東に国内屈指の広い平野・濃尾平野など、雄大な展望を満喫できる。また、貴重な高山植物の宝庫で、お花畑が美しい。駐車場から山頂へは3ルートの遊歩道コースが整備され、滋賀県側からは所要約4時間の登山道がある。 |
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リンク ●伊吹山ドライブウェイ 関ヶ原町 関ヶ原町観光協会 |
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【 関ヶ原古戦場 】 岐阜県関ヶ原町 |
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天下分け目の戦いが繰り広げられた史跡群
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1600(慶長5)年に徳川家康の東軍約7万4千人と石田三成の西軍8万2千人が戦った場所。家康が勝利し政権を掌握、戦国時代から江戸時代への転機となった。現在の関ヶ原駅北側一帯が激戦地。開戦地や決戦地、戦死者を葬った首塚、各武将の陣跡、碑などが点在、国の史跡に指定されている。駅から北へある丸山からは古戦場を一望。「関ヶ原町歴史民俗資料館」や「関ヶ原ウォーランド」などの施設がある。 |
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リンク 関ヶ原町 関ヶ原町観光協会 |
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【 関ヶ原ウォーランド 】 岐阜県関ヶ原町 |
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天下分け目の戦い・関ヶ原合戦のテーマパーク
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関ヶ原合戦の戦場再現や貴重な展示物などが充実。屋外では徳川、石田両軍の陣地や戦場が再現され、実物大の武者像が迫力満点。「合戦資料館」では合戦の様子がパノラマで紹介され、「甲冑資料館」では実際に使用されていた武具類が展示されている。また、館内ステージや屋外特別ステージでは、ショーなどのイベントが開催される。 |
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リンク 関ヶ原町 関ヶ原町観光協会 |
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【 関ヶ原鍾乳洞 】 岐阜県関ヶ原町 |
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伊吹山の麓にある全長約518mの鍾乳洞。洞内は鍾乳石や石筍が発達し、巨人の足や昇竜の間などの見どころが続く。ウミユリなど古生代の化石や、日本武尊が飲んだと古事記に書かれた「玉倉部の清水」も。また、霊亀の渕付近ではニジマスが泳いでいる。気温は年中約15度。 |
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リンク ●関ヶ原鍾乳洞 関ヶ原町 関ヶ原町観光協会 |
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