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【 酒蔵通り 】 広島県東広島市 |
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赤煉瓦煙突、白壁、なまこ壁の酒蔵が点在 |
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安芸西条は灘、伏見と並ぶ銘醸地。JR西条駅の東側、西国街道(旧山陽道)一帯には歴史的な酒蔵が点在、赤煉瓦煙突、白壁、なまこ壁、赤瓦屋根が目を引く。酒造の時期には酒の香りが。また、宿場町としての面影も残っている。土日祝には数社の酒蔵が開放される「ようこそ醸華町西条」が実施されている。
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リンク 東広島市 |
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【 竹原町並み保存地区 】 広島県竹原市 |
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江戸時代後期の町並が続く安芸の小京都 |
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竹原は平安時代に京都・下鴨神社の荘園として栄え、江戸時代には製塩地として発展した。また、頼春水や春風・杏坪の兄弟、頼山陽など多くの学者を輩出した。上市・下市には落ち着いた町並が残っている。本町通りの中央には多棟連結型の町屋が多く、南北端で独立型町屋や妻入りの町屋、横丁には屋敷型の町屋や長屋と、エリアによって建物に特徴が見られる。国の重要伝統的建造物群保存地区。 |
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リンク 竹原市 竹原市観光協会 |
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【 大久野島毒ガス資料館 】 広島県竹原市(大久野島) |
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世界唯一の毒ガス資料館。戦争を繰り返さないよう、毒ガスに関する資料が展示されている。大久野島では1929(昭和4)年に毒ガス製造工場が極秘に設置され、生産された毒ガスは日中戦争で中国に悲惨な被害を与えた。もちろん、国民にも知らされず、敗戦までは島自体が地図に掲載されなかった程。島内には、毒ガス貯蔵庫跡など不気味な約30の遺跡が点在している。 |
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リンク 竹原市 竹原市観光協会 |
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【 御手洗 】みたらい 広島県呉市(旧豊町) |
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風待ち潮待ちの港町で栄えた江戸時代の町並 |
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江戸時代に開かれ、北前船や諸大名の交易船の寄港地として栄えた。吉田松蔭や坂本龍馬、シ−ボルトなど多くの歴史的人物や文化人が幕末に訪れている。江戸期の町屋が何軒か連なる一角があり、ところどころ洋館も見られ、島旅情も加わって独特な雰囲気がある。重要伝統的建造物群保存地区。 |
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リンク 呉市 呉市観光協会 |
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【 大和ミュージアム 】やまとみゅーじあむ 広島県呉市 |
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戦艦「大和」の模型や実物の零式艦上戦闘機など |
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呉市海事歴史科学館。海軍の街だった呉の歴史と科学技術を学べる。戦後60周年、日本海海戦100周年にあたる2005(平成17)年に開館。全長26.3mの戦艦「大和」10分の1模型をはじめ、呉の歴史、大型資料展示室、船を造る技術、未来への4展示室や展望デッキなどがある。大型資料展示室の零式艦上戦闘機や人間魚雷などは本物。屋外には、テクノスーパーライナーや潜水調査船「しんかい」の実物展示も。 |
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リンク ●大和ミュージアム 呉市 呉市観光協会 |
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【 二級峡 】 広島県呉市 |
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黒瀬川の侵食によってできた長さ約300mの峡谷。国道375号線沿い。落差39mの2段滝・二級滝をはじめ霧滝、渦滝など大小の滝や約80を数える甌穴が点在。赤い吊橋「甌穴橋」が架かる。上流に二級ダムがあるため、川の流れがほとんどない日が多く、見応えのあるのは大雨の後など放水時に限る。 |
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リンク 呉市 呉市観光協会 |
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【 音戸大橋 】おんどおおはし 広島県呉市(旧音戸町) |
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両端がループとらせんの珍しい高架橋。大型船が通る海峡、限られた土地という厳しい条件下で建設するため考案された珍しいスタイルの橋。主橋梁長172m、総延長1184mで、呉市側はループ式、倉橋島側は日本初のらせん型。ここからは島々が浮かぶ瀬戸内海も望め、春にはツツジが周辺を彩る。 |
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リンク 呉市 呉市観光協会 |
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【 平和記念公園 】 広島県広島市中区 |
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爆心地直下で恒久の世界平和を願う |
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1945(昭和20)年の原爆爆心地で、一瞬で壊滅した地区。公園の広さは約12万u、世界遺産の原爆ドームをはじめ、平和記念施設や数々の慰霊碑、記念碑がある。広島平和記念資料館では、広島の歴史や原爆の影響などの資料が展示されている。平和の鐘は残したい日本の音百選。原爆死没者慰霊碑には原爆死没者名簿が納められている。碑文、「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」。 |
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(写真)原爆死没者慰霊碑 写真提供:広島県 |
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リンク ●平和記念公園 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 原爆ドーム 】 広島県広島市中区 |
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核兵器の断絶と永遠の世界平和を願うシンボル |
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1915(大正4)年に建築された旧産業奨励館の残骸。1945(昭和20)年に米軍のB29爆撃機が投下した原子爆弾によって建物は一瞬で大破、中にいた人は全員死亡。爆心地のほとんど直下だったため倒壊はまぬがれた。むき出しの鉄骨やボロボロになった壁が原爆のすさまじさを物語る。原爆の惨禍を伝えると共に世界の平和を願うシンボルとして、1967(昭和42)年に永久保存工事が施された。国の史跡、世界文化遺産。 |
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リンク 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 広島城 】 広島県広島市中区 |
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原爆で破壊されるまでは国宝だった名城 |
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1589(天正17)年に豊臣秀吉の五大老の一人・毛利輝元によって築かれた平城。別名「鯉城(リジョウ)」と呼ばれ、昭和になって国宝に指定されていたが、原爆で全壊。1958(昭和33)年に五層の天守閣が復元された。1989(平成元)年に築城400年で内部改装を行ない、武家文化をテーマとした歴史資料館となった。桜の名所でもある。 |
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リンク ●広島城 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 縮景園 】しゅっけいえん 広島県広島市中区 |
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中国の西湖を縮景した池泉回遊式の大名庭園
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1620(元和6)年、広島藩主・浅野長晟が別邸の庭として築造した池泉回遊式の大名庭園。濯纓池に大小の島々や橋が配された庭園で、作庭者は茶人として知られる家老の上田宗箇。園の名称は、幾多の景勝をあつめ縮めて表現したことによるが、また中国杭州の西湖を模したとも伝えられている。園内は梅、桜、ツツジなどでも知られている。 |
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リンク ●縮景園 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 ガラスの里 】 広島県広島市安佐北区 |
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ガラスに関する施設が揃うガラスのテーマパーク |
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広島市街から北方向に位置する。園内にはガラスの博物館や美術館をはじめ、鏡の迷路など不思議な空間が楽しいガラスの城、ビーズの専門店などガラスのテーマに沿った施設が集まっている。また、吹きガラスやマドラー作りなどのガラス工芸体験も充実している。 |
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リンク ●ガラスの里 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 広島電鉄 】 広島県広島市 |
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国内最大の市電路線で動く電車の博物館。「広電」の愛称で親しまれている広島市民の足。営業運転開始は1912(大正元)年。原爆が投下された中で奇跡的に生き残った被爆車両2両が現在も活躍している。「動く電車の博物館」と呼ばれ、他都市で活躍した車両を見ることができるのも嬉しい。国内最大の路面電車ネットワークで、運転本数も多い。広島駅と宮島を直結する便もある。 |
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リンク ●広島電鉄 広島市 広島観光コンベンションビューロー |
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【 厳島神社 】いつくしまじんじゃ 広島県廿日市市(旧宮島町) |
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海上の大鳥居と海を敷地にした希少な建築 |
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宮島の北側の砂浜に鎮座する古社で、6世紀後半の創建と伝えられる。平清盛によって1168(仁安3)年に現在の形に造営された。海を敷地とした構成と神殿造り粋を極めた荘厳華麗な建築美を誇る。檜皮葺・寝殿造の20数棟の社殿が回廊によって結ばれ、満潮時には、敷地が海となり、竜宮城を思わす景観となる。背後に広がる緑とのコントラストも見事。海上には朱塗りの大鳥居が立ち、宮島のシンボルとなっている。また、桜の名所としても多くの観光客が訪れる。国の特別名勝・特別史跡、世界文化遺産。 |
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リンク ●厳島神社 廿日市市 廿日市市観光協会 |
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【 弥山 】みせん 広島県廿日市市(旧宮島町) |
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標高53mで、宮島の最高峰。頂上からは島々の浮かぶ瀬戸内海や四国の山並みなどの景観が広がる。神体山として古くから信仰の対象とされてきた。原始林は天然記念物。頂上近くには弘法大師が開基した求聞持堂をはじめ、三鬼堂、大日堂などがあり、奇岩も多く見られる。 |
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(写真)弥山より望む瀬戸内海 |
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リンク 廿日市市 廿日市市観光協会 |
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【 弥栄峡 】やさかきょう 広島県大竹市他 |
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広島県と山口県の境、弥栄ダムの上流約1.5qにわたる木野川の渓谷。黒雲母花崗岩帯で、展風岩、重ね岩、亀岩などの奇岩が点在。上流の釜ケ渕はカワシンジュガイの世界南限棲息地となっている。渓谷に沿って国道186号線が走っている。遊歩道や川真珠貝広場、キャンプ場が整備されている。 |
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リンク 大竹市 |
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【 海上自衛隊第1術科学校 】 広島県江田島市 |
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1888(明治21)年に旧海軍兵学校が東京から移転し歴史が始まった。通称・赤レンガの生徒館が1893(明治26)年に完成。現在も、教育が行われている。一般見学ができ、広報展示室や大講堂、赤レンガ前、陸奥砲塔、表桟橋、教育参考館などを巡る。ギリシャ神殿風の教育参考館には特攻隊員の遺書など約1200点の資料が展示されている。20名以上の団体に限り、1ヶ月前までの申請が必要。 |
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リンク ●海上自衛隊第1術科学校 江田島市 |
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